集いで話したこと
- 公開日
- 2017/06/26
- 更新日
- 2017/06/26
お知らせ
集いで武豊駅にある高橋煕(たかはし ひろし)さんの胸像にふれ、列車と乗客を助けるために亡くなってしまった悲しい事実と、それを語り継ぐ人がいることを伝えるために次のような話をしました。
「これは何でしょうか」」(駅前の高橋の写真)
「何のために建てられたのでしょうか」
「武豊駅の駅員さんで、今から63年も前の話です。武豊をおそった大きな台風により、海の水で、線路が流されてしまいました。武豊駅に向かってくる列車はそのことを知りません。なんとか列車を停めないと、乗っている人の命が危ない!ということで、高橋さんは線路を自分の足で走って行き、武豊に向かっている列車に危険を知らせる発煙筒、つまり煙の信号を振って知らせました。
列車の運転手は直前で信号を発見し、ブレーキをかけて停めることができました。乗客は生き残りましたが、残念ながら高橋さんは波にのまれて亡くなってしまいました。
その後、高橋さんを思って、像が建てられ、現在も武豊駅を見守っています。という悲しいお話です。」
「命は繋がっています」
「みなさんの中には、知っている人が高橋さんに助けてもらった!というような人はいませんか?命は繋がっています。高橋さんのおかげで助かり、そして命が繋がっているという人が必ずいますよ。今日は、高橋さんのおかげで、生きている方をここに来てもらいましたので、少しお話を伺いましょう。歴史民俗資料館 館長の森田正樹さんです。」
歴史民俗資料館 館長の森田正樹さんのお話(森田さんは、お父さんが列車にのっていた方です)